あなたは、「せっかくここまで来たのだから」という理由で何かを決めたことはありませんか。
先日、私はまさにその理由で判断を誤りました。舞台はチャートの前ではなく、Apple Pencilの修理窓口です。しかも、その誤りに気づかせてくれたのは、夕食の席での息子の一言でした。
この記事では、その小さな出来事を材料に、トレードで負ける人が必ず持っている2つの思考の癖──サンクコストの錯誤と後付けの正当化──を分解します。そして、知識として知っているだけでは防げないこと、だからこそ「こうなったらこうする」を事前に決めておくことが重要だという話をします。
壊れたApple Pencilと、店頭で示された2つの選択肢

Apple Pencilが壊れたので、店頭の修理窓口へ持ち込みました。店員さんと話して分かったことは次のとおりです(2026年10月に店頭で聞いた内容です)。
- 修理として引き取っても、実際には新品への交換になる
- 現在は在庫がないため、3〜5日程度かかる見込み
そのうえで示された選択肢は2つでした。
| 修理(実質は新品交換) | 新品を購入 | |
|---|---|---|
| 価格 | 約21,000円 | 約24,000円 |
| 保証 | 半年 | 1年 |
| 受け取り | 3〜5日後(在庫待ち) | 3〜5日後(在庫待ち) |
| 店に行く回数 | もう1回 | もう1回 |
私は修理を選びました。差額は約3,000円。安いほうを選んだのだから、合理的な判断をしたつもりでした。
夕食の席で、息子は即答した
その日の夕食で、この話を息子にしました。「○○ならどっちにする?」と聞くと、息子は迷わずこう答えました。
「その店じゃなくて、Amazonで買う」
理由はこうです。
- 金額はたぶん同じくらい(約24,000円)
- 翌日には届く
- 保証も1年ある
- もう一度店に行かなくていい
私は店員さんが示した2択の中だけで考えていました。息子は、その枠の外にある3つ目の選択肢を、条件を並べて一瞬で選んだのです。

話を聞きながら、私は「息子のほうが正解だ」と思いました。手に入るまでの時間、保証の長さ、もう一度出向く手間。差額の3,000円と引き換えに得られるものを冷静に比べれば、答えは明らかでした。
状況や心理に左右されず、今ある条件だけを並べて、最善の選択を即座に下す。これは投資家の思考であり、トレーダーに求められる行動そのものです。私はそれを、息子から見せつけられました。
私が「修理」を選んでしまった3つの理由
では、なぜ私は修理を選んだのか。振り返ると、判断に入り込んでいたのは損得の比較ではありませんでした。
1. 「店に来てしまった」という労力
すでに店まで足を運び、窓口で順番を待っていました。ここで「やっぱり買いません」と帰ると、その時間と労力が無駄になる気がしたのです。
2. 直前の小さな苛立ち
受付の順番をめぐって、他のお客さんと直前に小さなひと悶着がありました。少しイライラしていたことは否定できません。苛立った頭は、選択肢を比べるより「早く片付けたい」に傾きます。
3. サンクコストの錯誤
そして決定打が、「この店で修理しないと損をする」という感覚です。
すでに支払ってしまい、もう取り戻せないコストをサンクコスト(埋没費用)と呼びます。ここで注意してほしいのは、修理代そのものはまだ払っていなかったということです。取り戻せないのは「店に来るまでにかけた時間と労力」だけでした。それはどちらを選んでも戻ってきません。本来、判断には一切関係のないものです。

それでも人は、すでに払ったものを「無駄にしたくない」と考え、判断をそちらへ引きずられます。ノーベル経済学賞を受賞した心理学者ダニエル・カーネマンは『ファスト&スロー』の中で、コンサートの前売り券を買ってしまったからという理由で危険な吹雪の中へ出かけていく例を挙げ、これを「サンクコストの錯誤」と呼んでいます。そして次のように述べています。
合理的な意思決定者は、現在の投資が将来もたらす結果にだけ注意を集中する。
出典:ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』下巻 第4部
私はこの言葉を知っていました。読書ノートにも「サンクコストバイアス=コンコルド効果(もったいないバイアス)」と書き写しています。それでも、店頭のその瞬間には、まんまとかかってしまったのです。
受け取りの日に始まった「後付けの正当化」
話には続きがあります。
数日後、修理(交換)が終わったApple Pencilを店へ受け取りに行きました。そのとき、私の頭にはこんな考えが浮かんでいました。
-
店員さんの目の前で動作確認ができるのだから、こちらのほうが安心だ。
-
もしかしたら、原因はタブレット側にあるかもしれないし。
一見もっともらしい理由です。しかし、これは判断した時点では一度も考えていなかった理由でした。決めたあとになって、自分の決定が正しかったと思えるような理由を、頭が勝手に探してきたのです。
これが後付けの正当化です。

ナシーム・ニコラス・タレブは『ブラック・スワン』の中で、ばらばらの事実に説明をこじつけずにはいられない人間の性質を「講釈の誤り」と名づけています。私たちは結果を知ったうえで過去を思い出し、筋が通るように記憶を作り直してしまう。著者はこう書いています。
私たちは手を変え品を変え、過去の出来事を自分に都合よく解釈する。
出典:ナシーム・ニコラス・タレブ『ブラック・スワン』上巻 第6章「講釈の誤り」
脳神経外科医の菅原道仁氏も著書『そのお金のムダづかい、やめられます』の中で、脳は無意識のうちに記憶を書き換えると説明しています。安売りで買った物がすぐ壊れると、「やっぱりワケアリだと思っていた」と、まるで最初から予測していたかのように思い込む。そう思い込むことで、脳はストレスを減らしているのだと著者は述べています。
私の「動作確認できるから安心」も、まさにこれでした。本当にそれが重要な理由なら、修理か購入かを決めるその場で、比較表の一行に入っていたはずです。
これは、トレードでそのまま起きている
ここまで読んで、「たかがペンの話だ」と思われたかもしれません。しかし、この2つの癖は、トレードの損失とそっくり同じ形をしています。
| Apple Pencilの場面 | トレードの場面 |
|---|---|
| せっかく店に来たのだから修理する | せっかく含み損に耐えてきたのだから、まだ切らない |
| 店員さんが示した2択の中だけで考える | 「損切りか、ナンピンか」の中だけで考え、「何もしないで閉じる」を選択肢に入れない |
| 苛立ったまま決める | 負けた直後の苛立ちのまま、次のエントリーを入れる(リベンジトレード) |
| あとから「動作確認できたから正解だった」と考える | あとから「あのエントリーには根拠があった」と理由を作り、同じ負け方を繰り返す |
含み損のポジションを抱えたとき、すでに失った金額はサンクコストです。どれだけ耐えてきたかは、これから相場がどちらへ動くかとは何の関係もありません。考えるべきは「今このポジションを持っていなかったとしたら、ここで新しく持つか」だけです。
そして負けトレードのあとに「根拠はあった」「運が悪かっただけだ」と理由を後付けすると、その負けから何も学べなくなります。検証すべきは、エントリーしたその瞬間に、どんな理由で判断したか。あとから付けた理由ではありません。
損切りの場面で起きる「後付けの理由」については、こちらの記事でも詳しく書いています。

知っていても防げない。だから「事前に決めておく」
私は、サンクコストも後付けの正当化も「知っている」つもりでした。本を読み、ノートにも書いていました。それでも、店頭で疲れと苛立ちが重なった瞬間には、知識はまったく働きませんでした。
人間の思考の癖を知っておくことで、多少は防げるのかもしれません。しかし、知っていることと、その場で実行できることは別物です。これが今回いちばん痛感したことです。
では、どうすればよいのか。答えは、判断を「その場」に残さないことです。
建築は、現場で迷わないように設計図を描く

私は一級建築士として、建築確認の審査にも携わってきました。建築の世界では、現場で想定している状況と環境の中で安全な建築物が建築できるよう設計図書に書いておきます。現場で職人さんが疲れていても、苛立っていても、図面に書いてあるとおりに施工すれば建物は安全に建つ。想定は設計の段階で済ませ、なるべく現場には持ち込まない。それでも想定外は起きますが、そのために現場監督と素早く連携して対処します。これが建築の考え方です。
トレードも同じです。相場の最中は、まさに疲れと苛立ちと「せっかくここまで」が渦巻く現場です。そこで正しく判断しようとするのではなく、冷静なうちに判断を済ませておく。
建築の設計思想をトレードにどう持ち込んでいるかは、こちらにまとめています。

「こうなったらこうする」を書き出しておく
具体的には、次のような形で、先に決めておきます。
- 損切りラインに達したら、理由を考えずに決済する
- 1日の損失が決めた額に達したら、その日はチャートを閉じる
- 負けた直後に「取り返したい」と感じたら、当初から想定していないエントリーはしない
- エントリーするときは、その理由を日誌に書いておく(あとで理由を作り直せないように)
最後の項目は、後付けの正当化への対策です。判断した瞬間の理由を記録しておけば、あとから記憶を書き換えることができません。
大切なのは、これらを「その場で思い出して守る」のではなく、守らざるを得ない仕組みにしておくことです。紙に書いて画面の横に貼る、アラートを設定する、取引できる回数や損失に上限をかける。意志の力に頼る部分を、できるだけ減らしておくのです。
日常は、トレーダー思考の訓練場
今回の出来事で改めて感じたのは、トレーダーとしての思考を鍛える場は、チャートの外にもたくさんあるということです。
買い物、修理、外食、行列に並ぶかどうか。日々の小さな選択の中で、次の3つを自分に問いかけてみてください。
- 取り戻せないものを、判断材料に入れていないか(ここまで来た労力、払ってしまったお金)
- 示された選択肢の外に、別の答えはないか(息子のAmazonのように)
- 今考えている理由は、決める前からあった理由か(あとから作った理由ではないか)
日常で失敗しても、失うのはせいぜい数千円です。しかし、その同じ癖が相場で出れば、失うものはずっと大きくなります。だからこそ、安く失敗できる日常で練習しておく価値があります。
まとめ
- Apple Pencilの修理で、私は「店に来てしまった労力」というサンクコストに引きずられ、苛立ちも手伝って修理を選んだ
- 息子は、示された2択の外にある選択肢を含め、条件だけを並べて即座に最善を選んだ
- 受け取りの日、私は「動作確認できるから安心」と、決めたあとに理由を作っていた。これは後付けの正当化である
- この2つの癖は、損切りできない・リベンジトレードをする・負けから学べない、というトレードの失敗とまったく同じ形をしている
- 知っていても、その場では防げない。だから「こうなったらこうする」を事前に決め、守らざるを得ない仕組みにしておくことが重要
状況にも心理にも左右されず、最善の決断を淡々と下す。それができるかどうかは、相場が開く前にすでに決まっています。
参考書籍
ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』(上・下)
人間の判断が、直感的な速い思考と、熟慮する遅い思考の2つでできていることを示した本です。下巻ではサンクコストの錯誤、損失回避、勝ち組を売って負け組を塩漬けにする「気質効果」など、損切りできない心理の正体が学術的に解説されています。
ナシーム・ニコラス・タレブ『ブラック・スワン 不確実性とリスクの本質』(上・下)
めったに起きないが、起きれば甚大な影響をもたらす出来事を、人間がなぜ過小評価するのかを論じた本です。上巻第6章「講釈の誤り」では、私たちが事実に後から物語をこじつけ、記憶を都合よく作り直してしまう性質が描かれています。
菅原道仁『そのお金のムダづかい、やめられます』
脳神経外科医が、ムダづかいを生む脳の罠をカタログのように解説した本です。後知恵バイアス、コンコルド効果(サンクコスト)、損失回避など、トレードにもそのまま当てはまる心理の癖が、身近な買い物の例で分かりやすく紹介されています。
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